~昭和・平成・令和~ コチラ教育現場から
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塾講師という仕事を通じて多くの生徒と関わっていると、5年単位くらいでかなりの変化を感じます。
時代の変化や、子ども達の傾向の変化のようなものです。
そしてこの頃、「今の若い人達は導いてもらえなくて大変だな」と強く思っています。
昭和や平成中頃までは、先生というのは今よりも厳しかった。ある意味怖い存在だったと思います。
「何とかしてそれなりの人間にして社会に出してあげたい」と思い、厳しさを持って接していた先生がいる一方で、明らかなモラル違反のような指導が今よりも行われていたことは、間違いないと感じています(残念ながら、今でも時々取り上げられますね)。
そうして時代が進み令和になって、明らかなモラル違反が是正されていく一方、教育現場では「ほめて伸ばす」やら「個性を尊重する」やら、厳しさとは真反対の指導がもてはやされ始めました。
同時に「ヘタに指導すれば問題にされるかもしれない」というリスクから、厳しい指導や声掛けをするのが非常に難しくなっています。厳しい指導は、もはや大きなリスクを伴うものになりました。
その結果、何が起こっているかというと、
「初めから才能がある人間は、どんどん向上していく」一方、「大多数の普通の人間が、それなりのレベルになること」が非常に難しくなっています。
学校で言えば、明らかな問題児にはある程度目を光らせているようですが、一見真面目そうで、でも自覚の足りない生徒に対して、「このままではマズいよ」というような声掛けは明らかに少なくなっていて、放置されています。ここ数年で、こういった生徒(一見真面目で、自覚が足りない学生)が増えているのを感じます。
才能や既存の環境が平凡な人間を、それなりのレベルにして社会に送り出すのが、公教育の一番の役割(効用の最大化)だったはず。それが今、非常に困難になっているのを実感します。
加えて、SNSでは「才能に恵まれた成功者」が、「自主性」を声高に主張します。
「日本式はだめだ、欧米では~」と日本と他国の違いを鑑みない一般論が蔓延しています。
こうした風潮が、「必要な厳しさ」を世間からどんどん排除していっています。
「先生が厳しくできなくなったのであれば、最後の砦は親」と言いたいところですが、共働きが多くなっている今の時代において、子供たちが親と接する機会も減ってきています。
これも、子供たちにとってはマイナス面が大きいでしょう。
※別に男女共同参画社会をどうこう言うつもりはありませんし、そうなった原因も個人的な考えはありますが、本題から逸れるので今回は書きません。
今の教育に対する風潮は、大きな危険を孕んでいます。
指導する上での厳しさが薄まっていく一方で、「あれこれうるさくは言わないよ」「自分で自由に考えて結果を出してね」という、自己責任を伴う”本当の厳しさ”を含んだ指導法を、まだ知識・経験の乏しい子供にも行っている。
学校の先生をしている友人がこう言っていました。
「今の教育の風潮では、社会に出た時とのギャップが大きく大変だろうな」と。
多くの生徒に勉強を教えてきましたが、ほとんどの生徒は教えれば一生懸命頑張ってくれます。
極一部の天才にのみ有効な指導や、極一部のモラハラ人間をクローズアップした指導が強調され、格差が広がるような教育の風潮を生み出してはいないでしょうか。
始めにも書きましたが「今の若い人達は導いてもらえなくて大変だな」と思っています。
そして、「自分の仕事を通じて、少しでも役に立ってあげたいな」と、強く思っています。